季節外れのアイゼンワーク

今年も早いもので6月になりました、間もなく梅雨前線が北上しシトシトムシムシの鬱陶しい季節に入る。

今月の山行予定として入梅前の晴れ間を狙った残雪豊富な明神岳東稜と宝剣岳中央稜が計画されております、宝剣岳では千畳敷カールから浄土乗越でMゾッチ君の雪上訓練を行って、ついでに?中央稜を登攀します。

初めてアイゼン、ピッケルの世界に向かう事となるMゾッチ君に季節外れの雪上想定練習をしておこうとロックガーデンにやってきました。

「メンバーは違えど、2週連続の芦屋通いやね」

P6020004 本日の参加者は宝剣でザイルを組む事になっているトッチャン師匠とMゾッチくん、そしてザコッペちゃんです。

「ザコちゃんに練習は不要やろ? モンブランもメンヒも登ってる事やし」

「そんな事ないです!杓子でヘマした所をバッチリとKさんに見られていますから、練習させて下さーい!」

P6020009 何処でも登りたがる岩虫達です。

P6020010 A懸にやって来ました、ところが、壁は先週も出会った某旅行社主催の講習会で超満杯となっております。

「仕方ないね、アイゼンを装着して何処か隅っこを登ろうや、Mゾッチ君、ベーシックも使ってごらんよ」

右端のボロボロのガリーを登って練習開始です。

P6020015 「さて次に進もう、足の運びに注意して、アイゼンを引っ掛けると転倒滑落になるから慎重に!」

P6020027 トッチャン師匠から指導を受けるMゾッチ君は真剣そのものです。

P6020028 足の運びもシッカリしてきました、次の段階に進みましょう。

「Mゾッチ君、初めて会った頃の山ボーイ的な感じから、最近は少しクライマーらしい雰囲気が出て来たなァ」

アイゼンワークのトレーニングにはこの万物相や岩尾根が多く利用され賑わいますが、それは冬山や春山の時期を迎える頃の事、今の時期では物好きな我々くらいです。

P6020022 ザレた斜面を雪面に見立て登下降の反復練習を行います。

P6020024 「よっしゃ、エエ感じになってる!上体を起こしてるし、良いバランスや、リズミカルに登りよ」

P6020026001 ZAKOちゃんも良い感じで登っております、合格点や!問題なし。

「これなら宝剣は楽勝や!そうや!君ん家は今月後半はスイスアルプス山行やったね、気を付けて行きよ」

P6020021001 ピッケルやバイルのピック角度には何の意味が有るのか、使ってみて初めて理解出来たと云うMゾッチ君。

「これらはアイゼンを含め単なる道具であって、昔は言われたピッケルは 山屋の魂 や飾りでは無いよ、大切にしっかりと手入れをし、これを手足の延長の如くに様々な状況下で使いこなす技術を身に付けてこそ、この道具達が本当に生かされ、我が身を守ってくれるんやで」

さァ、頑張って、自信を持って宝剣岳中央稜に挑んで下さい! そして楽しんでね。

勿体なくて使えないバルトロカレンダー?

021 2007年バルトロ氷河/ゴンドコロ・ラに日本山岳会関西支部、山陰支部、クラブ雲峰、六摩会の合同隊で、ご一緒した日本山岳会山陰支部の長田先生から素晴らしい卓上カレンダーが送られてきました。

0008長田先生は登山家であり著名な山岳写真家でもあるのです、個展も開かれ、写真集も出版されています。

0009 以前、頂いた写真集も私の大切な宝物です、「山遊山学」と一筆添えてあります、大山の四季が登山家としての目線を通して厳しくそして美しく撮られています。

これは山岳風景写真であるとともに、先生がこよなく愛する大山の記録でもあるのです、何度も頁を捲り眺めています。

元谷から見上げる雪煙巻く冬の北壁、そして大屏風、登山を始めて間もない十代の頃、無謀にも挑み雪崩に脅かされ苦汁を飲んだ、雪の怖さを初めて味わった、そんな思い出がこの一冊から蘇ってくるのです。

0006 それではバルトロの名峰秀峰をご覧下さい。

0005 巨大な岩峰、トランゴタワー、1600mを越える登攀ルートが登られています。

0004 K1とはマッシャーブルムの別名です、カシミール方向から眺めてカラコルムで一番高いとされてK1と呼ばれたのです、本当に高いのは世界第2の高峰K2ですよね、Kとはカラコルム。

0002 ブロードピークは兵庫県山岳連盟隊も登頂しています、そして私の大好きな怪峰ムスタグタワーです。

0001 鋭い三角錐のG4(ガッシャーブルム4峰)バルトロカンリは東京大学隊が初登頂していましす。

0003 アッパーバルトロ(バルトロ氷河最奥部)に聳える花嫁の座チョゴリザです、京都大学学士山岳会が初登頂しています、そして超人ヘルマンブールが命を落とした山でもあるのです、京大隊がテントと遺品を見つけています、我々は写っている右に伸びる氷河に入りました。

写真を眺めて、あの奥には、まだやり残した宿題がある、必ず、もう一度行こう、絶対に行ってやる!との思いがあるんです。

カレンダーですから今年一年で役目を終えます、もし使って汚れたら困るので大切に仕舞っています、勿体なくて使いません、カレンダーであってカレンダーでは無いのです。

あの日、あの地点で、先生と同じようにシャッターを切ったのに・・・・

「何故に、故に、こうも写真が違うんですかね?」

バルトロ氷河の旅 (エピローグ)

イスラマバードに戻ってパキスタン アルパイン クラブへの下山報告、ヘリコプター使用予約前納金$6000の解約返金受け取り、また、K2 INTERNATIONAL社との残金精算等すべて完了した。 今回のバルトロ計画は日本の海外登山ツアー会社に全面依頼したものではなく、基本的には自ら計画立案、現地の会社と直接交渉し費用見積りを取り寄せ推し進めた、その分、出発までにはルート決定、日程、装備、パキスタン大使館へのビザ申請、格安航空券の購入、海外登山保険への特約加入等を我々自身の手で行なう事が多々あった、LIGHT EXPEDITIONとすれば当然の事である。 我々の求めに応じてくれたK2 INTERNATIONALは立ち上げたばかりの新しい会社である、代表者のMR,FIDAが新潟に滞在している関係で数回にわたりミーティングを行ない問題点はひとつひとつクリアしていった、また、彼と私とは世間は狭いと云うか不思議な縁で繋がりがあり、期せずしてK2 INTERNATHIONAL社の第一号客となったのです、結果的には費用は日本系ツアー会社で同じバルトロに行くよりは格段の低費用である(日本の旅行社ではとてもこの価格帯では対応出来ない) 装備、食事、オプショナル費用を含めサービス面でも満足のいくものであったし、ビジネスを越えた友情とも言える暖かいものを感じていたのです。

004_3

002_2 001  MR.FIDAもMR.ISAも経験豊かなガイドであり、企業家でもある、今も彼らを信頼する登山家、トレッカーが各地に居るのです、日々の食事に気を配ってくれたスタッフにも改めて心よりのお礼を言いたい、本当に有難う お世話になりました。

005 そして苦楽をともにしたJOINT 9 GHONDOGORO 2007の皆さんへ、長旅お疲れ様でした、そしてメンバーに加えていただいた事、多くの思い出を残すことが出来ました事、お礼申し上げます、有難う御座いました。

085 岩塩は安価で良いお土産になります。

084 081 083 082 バルトロの思い出として氷河で拾い集めた峰々をイメージする石です。

バルトロ氷河の旅 番外編(6)

帰国まで後3日となった、イスラマバードに戻らなければならない、ギルギットから空路を使えば一時間程であるが、いつ飛ぶのかまったく当てにならないインシアラーエアーラインだし? 我々は当初からの予定通りにカラコルムハイウェーをひた走り、途中ビシャームでの一泊を予定していた。

157  115 フンザを 離れての帰路で石を拾っている我が面々です、ガーネットの原石が崖の崩れた土砂の中にザクザクと?

120_2 122 往路では見ることが出来なかったナンガパルバット(8126m)が姿を見せた。

116

123 105

ジャグロットを出てしばらくして、インダス河に沿った断崖の道がラキオト橋手前でなんと土砂崩れにより全面通行止となってしまった、復旧のメドはまったく立たない、さすがに人力では無理だ、重機が膨大な量の土砂を除去して行く(重機は通称カワサキと呼ばれていた。)すべては神の御心とドライバー達に動揺も無くゆうゆうとしている。半日以上も待ち続けたが復旧せずビシャームまで行けなくなってしまった、当然、崩壊現場を我々のバスは通過できない、徒歩で現場を乗り越える、その先には乗合ハイエースが待っていて客を集めている、雨が降れば通行止は日常茶飯事なんだろう、(外国人には足元をみて法外な運賃を要求するし、何ともしたたかな連中だ) 結局この日はチラスで泊まる事となった。

108_2 117 残したバスは明け方になり、なんとチラスに追いついて来た、ドライバー達が協力して徹夜で道を整地して強引に崩壊現場を突破したらしい、ドライバーを仮眠休養させなければならないしで出発はかなり遅れた、カラコルムハイウェーは、この先でも幾度かの足止めを食い、時間ばかりが過ぎていった、夜の食事も道端の簡易食堂でナンとチャイだけにして時間をかぜぎ、夜中にやっとの思いでイスラマバードに帰り着いた、ホントに疲れ果てました。

バルトロ氷河の旅 番外編(5)

カリマバードからカラコルム ハイウェイを北上すればやがて中国との国境であるクンジェラブ峠(5000m)に達する、峠を越えればカシュガルだ、我々はパスーという村を訪れた、国境まであと120km、今日も天候には恵まれずカ-ルンホー山群の鋭い岩峰群も何も見えない。

155 天気が良ければなあ、こんな峰々を望む事が出来たのに残念、無念!

154 パスーは林檎、スモモ、杏がたわわに実る静かな村でした。ここで若いカップルの日本人バックパッカーに出会った、彼らはベトナムから陸路をたどりイランまで行くとの事、もう3ヶ月以上の旅を続けているらしい、アフガン通過は気をつけろや!と言うとニッコリ笑って旅立って行った。

012 村で出会った娘さん達です、全員14歳とのこと、なんと可愛い! 思わず頬がゆるみます。

008_2 038_2 

093_2 037_2  イスラムでも北部は戒律的にも異質なんだろうか?女性は顔も隠さず我々と話しもするし写真も快く撮らせてくれる、子供は木に登って熟したスモモを採ってくれる、有難う、とっても甘かったよ、パスー!いい村だった。

101_2 112  村はずれの峠から見えるパスー氷河です。

バルトロ氷河の旅 番外編(4)

デオサイ高原から戻った我々はスカルドで一泊した後、カラコルムハイウェーを再び北上しフンザへと向かった。フンザとは地域総称であり正確にはフンザ地方のカリマバード村に行ったと言うべきか、天気は小雨が降り続いて、ラカポシ、ディラン、ウルタル等の峰々は皆目その姿を見せてくれませんでした。

109_2 110_2 不老長寿の村、桃源郷、フンザを形容する文言である、私には風の谷のナウシカの舞台になった谷?である、この景色を眺めアニメの場面を思い浮かべたら、なるほどなぁ、妙に感心する、スタジオ ジブリ、否、宮崎駿の世界だと、俺ってミーハーかな?オタクかな?

102 099

097 094_2  フンザ王国の城砦(バルチット フォート)です、標高は2400mの高台にあり城壁からはフンザを一望する事が出来る。

047_7

バルチット フォートの背後にはウルタル(7388m)が急角度でそそり立つ、初登頂を目指した長谷川恒男、星野清隆の両氏は無念にも雪崩により亡くなった、二人は谷の奥、BC跡の墓に眠っている、初登頂を果たした山崎章人氏もまたその命を落とした、ウルタルは日本を代表するトップクライマーの生命を飲み込んでいる。(村には長谷川恒男氏を記念したハセガワ記念学校が在る)

Photo_6     フンザに行けば酒が飲めるぞ! 最大の目的はここにあったと言っても過言ではない、1ヶ月に亘る禁酒だっただけに中国製の聞いた事も見た事もない銘柄の賞味期限も怪しいビール(アルコール度数11度)であったが一気に呑み干した。(おかしい?酔わないなぁ)値段にもビックリする500mlで¥800ですよ!凄い高級ビールです、また、フンザウォーターと称する酒があった、外見はまったくのネッスルのミネラル水リッターボトルである、中身は古くなった日本酒の酸味が出たという感じ、とても飲める代物ではない、しかし、目が潰れるかも?と言いながらも飲み切った強者が居たぞ・・・・酒豪?アル中?恐るべし!

バルトロ氷河の旅 番外編(3)

マチュルー村出身スタッフの見送りを受けてフーシェ谷を去る時がきた、ガイド見習いでキッチンボーイだったミラバースに私は言った「必ず、又、会おうな、その時には一人前になって俺達をガイドしてくれよ!」彼は微笑んで「インシ・アラー!」そして自分のリングをそっと抜き取った、思い出は今も私の指に輝いている。

086 我々の山は終わった、イスラマバードに戻るまでの残った数日をノーザンエリアを巡る旅に充てる事とし、デオサイ高原とフンザに向かう。

042 デオサイはインドとの国境にも近くて最近まで外国人の立ち入りを制限していたとも、アメリカがこの地をパキスタン政府より軍事目的で借りるべく工作したとも聞いた、複雑な国情にあっても、イサが言っていた「春は必ず来て、花は咲き鳥は啼く、その春を私たちは待っている」と、4000mを越える高地にあるデオサイ高原は広大な拡がりの中、高山植物の花々が咲き競っていた。この地が永遠に平和である事を祈るのみだ。

043 045  デオサイ高原でのジープサファリは悪路に慣れきってた我々にはまったく苦にはならない、高原はこの吊橋を渡り、何十キロも延々と続いている。

067 068

071 072 美しい花々を見ても不勉強な私には名も知らず、まさに高嶺の花でした・・・・・・

020

046 パキスタンにも野生のマーモットが居たぞ!(アラスカにしか生息していないと思ってた)車を巣の近くに止めて口笛で呼ぶと愛くるしいとぼけた顔をヒョッコリと出した。

059 021 嫌な雷雲?が出たなぁ・・・と、たちまちにして激しいヒョウとミゾレに襲われた、4000mでの天気の急変は夏姿の我々には辛い、ましてや車はオープンのジープときては、ひたすら震えながら逃げるのみ、岩小屋造りの茶店が遇った!ラッキーだ、雷雲をやり過ごすまでしばし避難する、この茶店の坊主は健気に親を助けてよく働く、チップ代わりに昼食にと我々が用意していたゆで卵を2個手渡すと嬉しそうに握り締めた、暖かいチャイで身も心もホカホカと寒さも吹き飛んでいた。

バルトロ氷河の旅 番外編(2)

フーシェは緑あふれる美しい谷である、豊かな実りの谷である、村は麦の刈り入れと杏の収穫に忙しく、村人の表情も明るい、岩と氷の荒涼とした世界に居た我々には新鮮な感動があった。

062  フーシェ谷上流部

051 完熟した杏の実は種を割って油を絞る、果肉は天日で乾燥させ家畜の飼料となるらしい。

074 フーシェ村より麦畑を抜け上流部に向かう(4000mを越えているが高度順化が出来ているのか快調である)前方の右が本谷でK6、K7、ゴンドコロ・ラに続いている(我々はここに下山してくる計画であった)V字に切れ込んだ谷がマシャーブルム氷河だ。

035 フーシェ側から見るマシャーブルムはバルトロ側とは異なり孤高の優しい姿だ、主なルートはフーシェ側から開かれている。

065 030 026 027_2 029_2 060_3 名も知らぬ花が咲き名も知らぬ蝶が舞う、桃源郷とはこの様な場所を言うんだなぁー、草原に寝転び流れる雲を眺め妙に納得してしまう 、時が止まる。    

バルトロ氷河の旅 番外編(1)

ゴンドコロを断念した我々は天気の崩れ出したコンコルディアを離れ氷雨かミゾレのショボ降る中,下山の途についた、K2をはじめバルトロの山々は濃い雲に覆われてその姿を再び現すことはなかった。

4泊5日をかけてアスコーレに戻り、頑張ってくれたポーター達ともお別れである、本当に気の良い連中であったが薬や衣料品や何かとよくねだられた。(俺はドラえもんの四次元ポケットは持って無いぞ!)003 シガール村、マチュルー村の気の良いポーター達です。(一種独特な体臭を思い出します)

015 016  ポーター達には隊長から感謝と慰労の意味を込めてボーナスを手渡した(金額は一人に500ルピーです、日本円で約1000円程度ですが彼らにすれば結構な金額です)臨時収入に全員大喜び。

040

スカルドに戻った我々は休養もそこそこに次の予定地であるフーシェ谷にあるマチュルー村に向かった、ジープに揺られ、冠水した悪路を走りたどり着いた村、そこにはスペインが建設した登山学校がある(現在はゲストハウスとして使用) ゲストハウスではこのエリアで最強のハイポーター頭(シェルパ)で数々の頂に立ったムハマド イブラヒム氏が我々を歓迎してくれた、ゴンドコロに関しては非常に残念がって同情もしてくれ、必ず戻って来い、その時は俺も行くから一緒に楽しもうと言ってくれた。

019_2 ゲストハウスから後方にマチュルー峠(5100m)が見える、峠からの景観は素晴らしくてカラコルムの巨峰が・・・・大パノラマが広がる。(写真で見ただけだが凄いですわ)

O氏は密かにこの峠からのパラグライダーでの飛行を検討中らしいですぞ。(飛び過ぎると印パ国境やぞ、撃墜されるかもね)

078 056_2 久しぶりに帰宅したパパに末っ子は甘えて、MR.FIDAもエエお父ちゃんや!  何人のお子さんが居るのやら? 奥さんは2人までは確認済み!

057 077

MR.FIDAにマチュルー村の自宅に招待され、バルチスタンの地方料理をご馳走になる(やぎ、鶏、バルチスタンブレッド、杏の種から絞ったオイルは独特の香りがあって料理に合う)

バルトロ氷河の旅 NO.12

JULY 12 2007  ゴンドゴロ・ラに向かうか、否か、最終決定を下さなければいけない時が近づいている、ゴンドゴロ越えは今シーズンの通過が かなり難しいと思わざるを得ない情報ばかりだ、今日、ヴィーネ氷河からアリキャンプの手前まで状況を偵察に行く事とした、その結果にて今後の行動を決める、もうそれしか方法は無い、自らを納得させる口実を探しているようで気が重い。

169  021

バルトロ氷河左岸のサイドモレーンを延々とトラバース、アッパーバルトロ氷河が眼前にその拡がりを見せている。

012 ヴィーネ氷河の合流点付近にあったテーブルロックに登っているガイドのイサミラバース 011_2 チョゴリザも近い。

016 K2に嫌な雲が!

017 ブロードピークにも!

018 ガッシャーブルムにも!天気まで悪化の兆し? 贅沢は言えません、ここまで好天に恵まれた方ですわ、急いでBCへ戻ろう、そしてミーティングです。

ゴンドゴロ・ラは断念する、これが結論でした。

ゴンドゴロを越えて来たフーシェの若い3人のポーターの話

(1)クレバスは大きく口を開き峠の全面を塞ぐ形になっている。

(2)今シーズンのレスキューはクレバスのルート復旧工作をまったく行なえていない、フィックスザイルもまったく無い、少人数でかつ軽装備でラッシュかければ可能だが我々は総勢50名を越える大人数であり、ポーターの氷雪技術と装備に加えザイル工作を行ないながらでは時間がかかり過ぎてアリキャンプを夜中に出発しても峠を越えて積雪が少なく氷も薄く陽が昇ると緩んで落石が頻発している危険地帯を安全圏まで通過させる事が困難であろう。

我々自身はこのルートに関しては技術的には何の心配もしていなっかたし楽勝で登るつもりであっただけにそのショックは大きかった、懸念していた高度順化も問題ないが総合的に判断して危険は回避するのが賢明であるとの結論に達した、一旦スカルドに戻り体制を立て直してフーシェ谷に入る事にした。

登れん事もあるわー!  それが登山じゃー! すべてはインシ・アラーか?

その他のカテゴリー

フォト

新しいブログ

無料ブログはココログ
2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック